第3章~刺客~
オンライン小説~銀の騎士~剣と魔法のファンタジー物語
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セラムが目を覚ました時、辺りはすっかり暗くなっていた。自分の眠っていた見なれぬベットが、リュニアル家の客間のものであると気づくまでに、しばしの時が必要だった。
部屋は暖かく、シーツは清潔だったが、セラムは朝のすすけた夜着のままだった。王子の許しを得ず、勝手に着替えさせる事をためらったのだろう。が、薄絹のガウンは三枚とも着ていなかった。
ベットからそっと這い出してみると、壁にかかった大きな鏡の中の自分が目に入った。そして、一本しかついていないろうそくの薄明かりの中で、ふと手の平を見つめた。顔も手も汚れてはいなかった。リュニアル家の侍女が拭いてくれたのだろうか。そんな事をぼんやり考えながら、部屋の扉に手をかけた。
カチっと扉が開き、僅かな隙間から眩しいほどの明かりが、容赦なく侵略して来た。その明かりに目が慣れるまで、セラムは扉の前でじっと待たねばならなかった。
少しづつ目が慣れてきたので、扉をゆっくりと開いた。
「まあ! 奥様! 奥様! お目覚めでございます。」
どこから声を出しているのかと思われる高い声が、廊下を走り去ると、ざわざわと人が集まって来た。リュニアル家の使用人たちであろう。だが、誰も声をかけようとはしない。使用人が王族に話し掛けたり、目をあわせたりするのは、礼を欠く事だと教え込まれているらしい。誰もが下を向いてセラムの言葉を待っている。前を通る時には、跪く者もいれば、ほんの少し膝を折ってスカートの裾をつまみ、頭を下げる者もある。
セラムは、一人の年をとった侍女に、
「サンバールは?」
と聞いた。彼女は顔を上げないまま、
「王宮よりお戻りになっておりません。」
と、答えた。
「誰か、サンバールを呼んで来て欲しい。」
侍女が答えるより先に、リュニアル家の女主人が現われた。
初めて会うサンバールの母君は、穏やかな品のある貴夫人だった。
「王子殿下。初めてお目にかかります。王子殿下に目をかけていただいておりますサンバール・レン・リュニアルの母でございます。」
彼女は決して媚び過ぎず、だが丁重に膝を折った。
「顔をあげて下さい、リュニアル伯爵夫人。突然御迷惑をかけて申し訳ありません。サンバールに会いたいのです。今すぐに。」
外界と遮断されて過ごして来たセラムは、こんな時何と言ってよいのかよくわからない。王子だからと言って、当たり前顔で迷惑をかけるのは嫌だったし、あまり丁寧に話しても相手が困るだろうという気がした。
「サンバールは、いつも殿下と御一緒だと申しておりました。私には息子がどこにいるのか検討もつきません。申し訳ございません。今すぐ王宮に使いを出します。」
セラムは慌てて首を降り、早口で言った。
「私がここにいる事は、王宮には伏せたい。事情は後ほどお話します。」
セラムの尋常でない様子にも、顔色一つ変える事なく、リュニアル夫人は冷静だ。
「承知いたしました。では、晩餐の準備をさせていただきましたので、殿下はお召し替えを。」
夫人は言葉少なだったが、任せても大丈夫だという安心感をかもし出していた。少なくともセラムにはそう思えた。
セラムは部屋に戻り、後を控えめについて来た三人の侍女のなすがままに着替えをした。そして、侍女の案内で晩餐の席に赴いた。本当は、食欲など全くなかった。しかし、せっかくの申し出を断る訳にもいかない。
広いダイニングの大きなテーブルに、セラムと夫人だけが席についた。夫人は当たり障りのない事を、いかにも教養豊かな貴夫人らしく、控えめに話した。しかし、今のセラムは一刻も早くサンバールと話したかった。夫人の話はほとんど聞いていなかったが、笑顔を見せながら相槌を打つ事は忘れなかった。
セラムがほとんど食べない事にも、心ここにあらずな様子にも、そして突然あんな姿で現われた事についても、夫人は深く追求しなかった。セラムは、リュニアル伯爵夫人が真の貴夫人であった事に感謝せずにはいられなかった。
今、サンバール以外の人間に、何も話すつもりはないからだ。
最後にデザートが出て来た時、大きな足音と共にサンバールが駆け込んで来た。
「王子! こんなところで何をなさっているのです!」
サンバールの顔は疲れきってやつれて見えた。伯爵夫人が何か言ったが、セラムの耳には届かなかった。涙でサンバールの顔が見えなくなるのと、乱暴に立ち上がってサンバールに抱きついたのは、ほぼ同時だった。
「サンバール! 君はどうして!」
声がつまってその先が言葉にならない。サンバールは、母に黙礼してセラムを部屋に連れていった。セラムが泣いているのを出来るだけ誰にも見せたくなかったのだ。
「私は真っ暗な通路で……」
「しっ。ここでお話になってはいけません。」
サンバールが誰にも聞こえないように小声で囁き、セラムはまた涙が溢れ出した。冷静な時には、サンバールに甘え過ぎてはいけないと思うのに、何かあるとサンバールしか頼れる者がいない事に気づかざるを得ない。
こんな事で泣くんじゃない、心の中で自分を戒める。しかし、涙は止まる気配を見せない。
サンバールはセラムを自分の部屋に連れていき、誰にも入って来ないよう言い付けた。
「さあ、もう泣かないで。何があったのか順番に話して下さい。」
皮張りの白いソファに座らされたセラムが、ふと見上げると、傍らに立つサンバールは巨人のように見えた。しかし、隣に腰を降ろした時には、不思議といつもより小さくさえ見えた。
セラムの瞳を覗き込むサンバールの顔は、憔悴し切っていた。
「なぜ君は、今日いなかったんだ。」
セラムはこみ上げるものをこらえ、やっとそれだけ言った。
「王のお召しがあったからです。突然、重臣会議に出るようにと。昨日の晩、随分遅くなってからです。私はサーラに直接、その事を伝えに行った。あなたが眠っている時に。その時は何事もなかった。いつもと同じでした。」
サーラはエリックが信頼して、あの事件の後、王子を任せている王子付きの侍女たちの長だった。
「それなのになぜ、サーラはいなかったんだ。」
「それは調べました。明け方、身体をこわして寝込んでいた母親が危篤に陥り、まだ暗いうちに家に帰ったと言うのです。その際、王子の事を安心して任せられる、彼女の遠縁の娘に、王子の事を頼んだのだと、そう言っていました。」
「他の侍女たちは!?」
「朝起きるとサーラからの置き手紙があり、今日は王子がいないので休暇をとってもいいと書いてあったそうです。だから四人とも、朝一番で家に帰ったと。」
そこでサンバールは大きく溜め息をついた。
目が落ちくぼんで、ひとまわりも老けたような気がする。
「手紙も確かめました。確かにサーラの筆跡に酷似していました。」
「じゃあ、サーラが……!?」
「彼女は知らないと言っています。」
「仕立て屋を呼んだのは誰なんだ!」
「仕立て屋?」
サンバールの目がキラリと光った。仕立て屋の事は知らなかったようだ。
「今朝、見知らぬ侍女がいきなり寝室に入って来て、仕立て屋が来ていると。でもそいつは、いつもの仕立て屋でもなければ、今日は仕立て屋が来ると決まった日でもなかった。だから、だから私は……」
「どんな風貌だったんです! その仕立て屋は!」
サンバールが真剣にセラムの両腕をつかんで揺らした。
サンバールがこんなに興奮しているさまは、見た事がなかった。
「訛ってて、汚い格好をしていたんだ。私はおかしいと思って、寝室に籠って鍵をかけた。気分が悪いからエリックを呼んでくれと言ったんだ。侍女がどんどん扉をたたいて……セラムがうなりだして……こわかった。君を呼んだんだ。必ず助けに来てくれると思ったんだ。それなのに……」
セラムは話ながらだんだん朝の恐怖が蘇って来て、言葉がつまった。サンバールを責めるつもりなど全くないのに、出て来た言葉は非難のようで嫌だった。
「申し訳ありません。こんな時にお側にいられず……」
サンバールが頭を垂れるのがたまらなく嫌だった。
”やめてくれ、お願いだから、サンバール。”
心が叫んでいるのに、口に出す事が出来ない。サンバールはセラムがいなくなって、心底心配したのだろう。捜し回ったに違いない。王命でセラムの元に一日来れなくなっただけの事を、責める事は出来ない。わかっている。わかっているのに。
「会議が終わりセラムの部屋に着いたのは夕方でした。その時、部屋には侍女が一人いるだけだった。彼女は、王子が誰にも会いたくないと言って、寝室に籠っていると言った。その時、私の心臓がどんなだったか! 声をかけても返事がなく、扉を破りました。あなたはどこにもいなかった。」
サンバールが今にも泣きそうに見えたので、セラムは下を向いているサンバールの髪にそっと手を触れた。
「ごめん。君に心配をかけて。でも、殺されると思ったんだ。二度と君に会えなくなると。」
何度も頷いているサンバールは、涙をこらえているように見えた。
セラムはだんだん落ち着いて来て、取り乱した自分を恥ずかしく思い始めていた。
「それであなたは秘密の通路に入ったんですね。」
「恐ろしかったよ。たった一人で、真っ暗で、狭くて。迷ったと思った時は平静を保てなかった。」
「よくぞ御無事で。」
サンバールはセラムの手をとって、手の甲に口付けるポーズをとった。明らかに臣下の礼だった。いつものからかう口調はなりをひそめていた。セラムはそっと手を外すと、サンバールを抱きしめた。
「必ず君が助けてくれると信じていた。ありがとう。」
「私は……」
なにか言いかけたサンバールの口を塞ぐように、セラムはまた口を開いた。
「私はむざむざ殺されたりしない。」
セラムの顔に笑顔が戻った。それが何よりもサンバールを安心させたのだった。
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