おばさんの呟き
オンライン小説~銀の騎士~剣と魔法のファンタジー物語
-呟き前編-
ププタン村に住むの殆どの人々は、雪を見た事がなかった。
冬の厳しい寒さも経験した事がない。
ある朝、一番早起きの村びとの嬌声で、窓を開けたすべての人間があっけに取られ、その真白に埋め尽された美しい情景を何も言えず見つめていた。手の平をかざす者、寒さに縮こまる者、作物をダメにされて罵倒を浴びせる者、反応はさまざまだったが、雪が村びとの心に深く影響を与えたのは確かだった。
古ぼけた看板にある「フーチの店」という文字は色褪せ、いまや完全に消えかけている。いつもはひっそりとしているその店は、ついいましがたまで防寒具を買いに来る人達でごった返していた。元々今まで寒さを知らなかった村なだけに、道具屋とは言え防寒具の用意もさしてない。ありったけの長上衣、毛布、膝掛けなどが出尽くしてしまい、人々は何も手にしないまましぶしぶ帰って行ったのだった。
ふうっと溜め息をつきながら、フレアは大柄な身体を重たげに揺らし、よっこらしょと椅子に腰掛けた。腰痛は、もう何年も前からフレアを苦しめていたが、今日の寒さは更に最悪だった。
ショールの襟元をきっちりと合わせ、膝掛けを腰に捲く。吐く息は真っ白だ。
はあっと手に息を吹き掛け、暖かいお茶を入れる為に立ち上がろうとしたその時、
ガチャーン!
大きな音に振り返ると、石が投げ込まれて店の窓ガラスが店内に飛び散っていた。
急いで外に飛び出すと、悪ガキのチャンが逃げて行くところだった。
「お待ち!」
大きな身体をドスンドスン言わせ、それでもなんとか追い付いたフレアは、チャンの襟首をむんずと掴み、持ち上げた。
「うわぁ~~、放せ、放せよ~」
ジタバタと暴れるチャンの顔を自分の方に向け、睨み付ける。
「窓がわれちまったじゃないか。どうしてくれるんだい! この寒いのに。いい加減におしよ」
「何だよ! 寒いのはアビのせいじゃんかよ! みんな言ってるぞー。嘘つきアビのせいで冬が寒くなったって」
足をばたつかせながら、チャンは精一杯虚勢を張るが、フレアと目を合わせようとはしない。
なんとか逃げ出そうと必死にもがいていた。
「馬鹿お言いでないよ。うちのアビは嘘つくような子じゃないんだ。今度そんな事言ったら、ただじゃおかないよ!」
そう言って掴んで持ち上げていた手をパッと放すと、チャンが柔らかい雪の上に転がった。
「このくそばああ! かあちゃんに言い付けてやるからな!」
足をもつれさせながらも憎まれ口を忘れずに、チャンは一目散に逃げていく。
見送るフレアの目は怒りよりもむしろ哀しみに満ちたものだった。
アビがハンター仲間のシュールと共に突然姿を消した時、村長は村中の大人達を集めた。裏山の主討伐に出かけた二人が、なぜいなくなったのか、裏山の主はどうなったのか、みなに説明する為だ。
しかし村長の話は突拍子もなく、信じがたいものだった。
二百年以上昔にププタン村の村長が裏山に封印したとされる「裏山の主」が、実は精霊だったというのだから、はいそうですかと信じられないのも無理はない。主を封印した過去の英雄談をずっと信じてきた村びとにとって、英雄がいなかったなど、すんなりと受け入れられるはずがない。
その上、精霊などという存在が本当にいるのかどうか、それも信じがたかった。
銀の騎士の伝説は、子供の頃から聞かされている。
遥かいにしへの時、
渾沌と魔法が時を支配せし頃、
白の世界、魔に侵されん時、
伝説の銀の騎士あらわれん。
かのひと妖しの環、天にかざし、
麗しき乙女の姿かりし、
いにしへの神降り立ちん。
かくして白の世界すくわれん……
この詩はあまりにも有名だった。
だが、それはあくまでも伝説であり、現実とはなんら関係のない出来事だ。
古の伝承に登場する銀の騎士が、闇を封印した場所が、ここププタンの裏山であり、長い年月を経て、封印された闇の代わりに精霊が閉じ込められる事となった、などと言われても何の事だかさっぱりわからない。
精霊を助ける運命を背負い、アビとシュールが旅立ったのだと、村長は言っていた。でも実際のところ、それを信じた者は誰一人いなかった。
二人は怖じつけづいて逃げたのだとか、裏山の主の生け贄になったのだとか、よくない噂が色々飛び交った。
そして一年後、秋に帰って来たアビは、村人達に姿を見せず、すぐにまた旅立ってしまった。
その時も、村長は村びとを集めた。
シュールとアビが、無事に精霊を助け世界に平和をもたらしたのだと。
その為に、これからは魔物がいなくなるのだと。
この時も、それならばなぜ二人は帰って来ないのだと、噂されたものだ。子供にそんな大それた真似が出来るはずないとか、村長は何か知っていて隠しているのではないかとか、勝手な憶測が広場を賑わせた。
しかし、それから初めての冬を迎え、考えられないような寒さがププタン村を包み、魔物が急激に減りはじめると、人々は何らかの変化を信じない訳にはいかなくなった。魔物がいなくなり、季節が正常に戻ったのだから、喜ぶべき事なのだと、村長は言う。しかし、村びと達は単純にそうは思わなかった。急激な寒さで命を落とした老人や赤子があったからだ。
この寒さは、シュールとアビが、裏山の護り主であった精霊を、勝手に持ち去った故であると、いつしか噂されるようになっていた。
人間はいつも、何か良くない事が起こった時、責任転嫁する存在を探すものだ。アビはその格好の材料にされたのだと、フレアは思っている。あんなに精霊など信じないと言っていたものが、自分達に都合のいい様に、ころりと考えを変える。いつも何かのせいで自分達が被害を受けていると思い込む。誰かがいつも悪者にならなくてはいけないのだ。
そして悪者にされるのは、その場にいないもの――死んだ者や旅立ったもの、もしくは抵抗出来ない弱いもの――である。
小さな村でそれは当たり前だった。
ブルッと身体を震わせて、フレアは襟元をきつくあわせた。そしてゆっくりと雪を踏み締めて、店に戻っていった。
店の扉をあけると、どこから現われたものか、一匹の猫が滑り込んできた。
少し距離をおいて、媚びたような目でフレアを見上げている。
「外は寒いからね、いいよ、お入り」
猫はフレアに決して近付き過ぎない距離を保って、のそりと奥へ入って来た。フレアが店に置いてあった板を割れた窓に打ち付けるのを、猫は店の奥から眺めている。それが済むとフレアは猫に構わず、さっきいれようとして中断された暖かいお茶を、ポットに注いだ。ふうっと大きく息を吐いてどっかと椅子に腰掛ける。
「あの看板も直さなけりゃならないね」
誰にともなく言った。あるいは猫に言ったのかもしれない。
自分専用の古びたカップに茶を注いで、両手を温めるように添えると、急に生き返ったような気持ちになる。目を閉じると、あの看板をフーチと二人でかけた日の事が思い出された。
「あの頃は幸せだった。若かったし、フーチもあんなじゃなかった。いつまでも幸せが続くもんだと思い込んでいたね」
うっとりとここまで言うと目を開けて、フレアは棚の下当たりで縮こまっている猫を覗き込んだ。
「家にいれてやった代わりにあたしの昔話をきいとくれよ。
今となっては誰も聞いちゃくれない昔話をさ」
猫はそっぽを向いたままだったが、フレアは気にせず再び目を閉じて、自分の世界に入っていった。
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