第6章~確信
オンライン小説~銀の騎士~剣と魔法のファンタジー物語
(1)
赤い月が燻っていた。
森はどこまでも薄暗く、木々の合間から覗く薄い月明かりは、足下を照らすどころか不確かな陰をつくり、一層不気味さをつのらせるばかりだ。時折森の番人がホーホーと合図を送る以外に、聞こえてくるのは自分の足音だけだった。
小枝を踏んでパキッと大きな音がすると、潜んでいた小動物がさがさと逃げ出していく。
しかし実際、こちらの方がよっぽど逃げ出したい気分だった。
ギルの大森林にたった一人で、しかもこんな夜更けに足を踏み入れるなんて、自殺行為だと十分わかっている。
”足が勝手に動いてしまいさえしなければ、今すぐ引き返すのに……。”
チチは泣きたい気持ちでほとんど走っていた。
なぜ、こんなに怖いところへ一人で向かっているのかわからなかった。どうしてそこまで気持ちが逸るのか。シュールがいないだけで。あんなに頼りにならないシュールが。
シュールは事の重大さをわかっていない。いつ何が起こるかわからないと、あれほど言ったのに。なぜならシュールには悪しき力との絆が出来てしまったのだから。一度出来てしまった絆は、断ち切る事が出来ない。どちらかが完全に消滅するまでは。それがシュールには少しもわかっていないのだ。いくら先読みの者でなくとも、これだけ説明しているのだから、少しはわかってくれてもいいはずだ。
シュールがもう少し物わかりがよければ、チチがこんな思いをすることはなかっただろう。そう思うと悔しくなってきて、大声で悪態を吐きたくなった。しかし大声を出して、何かよくない生き物を目覚めさせてしまうのではないか、という恐怖の方が若干勝って、チチは開きかけた口を噤んだ。
暗い森を殆ど勘だけで走るチチの右手には、シェーラの形見の杖がしっかり握られている。杖はチチには大きすぎるように見えた。
時々獣道の両側にある低木から小枝がはじけて、チチの頬を打ち付けた。痛みは寒さのおかげでそれほど感じなかった。それよりもピシッという音の方がよっぽど、チチの心臓を飛び上がらせた。
どのくらい走っただろうか。だんだん息が苦しくなって来て、立ち止まりたかったが、チチは我慢した。こんな恐ろしいところで立ち止まるくらいなら、倒れて気を失った方がましだ。
吐く息が白い。目の前が曇って見えるのはきっとそのせいだ。
と、突然右前方の茂みから何かの気配がして、チチは本能で後ろ飛びに避けた。チチは高鳴る心臓の音をなんとかしずめたいと思いながら、おそるおそる気配とは反対側、大きな音がした方向の針葉樹の幹に視線を移した。衝撃がつくったキズと煙りが立ち上っている。
”今のは何? 何だったの?”
チチは息を整えながら気配のした暗闇に目を凝らした。
それは、馴染みの深い精霊力の衝撃に似ていた。だが、精霊力を使って攻撃する魔法は、先読みには伝わっていない。力は明らかにチチを攻撃した。精霊力であるはずがない。
様子を伺ってジッとしていると、また先ほどと同じ気配が感じられた。今度はもっと近い。
チチは走った。
「あっ」
間に合わなかった。何もない虚空から、ねじ曲げられた力がチチの右肩を打ち据えた。どさっとその場に倒れ、あまりの痛みに一瞬気を失いかけた。
”ああ精霊様、お許し下さい。気を失った方がましだなんて嘘です。ここで倒れる訳には……”
しかしよろりと立ち上がったチチに、二発目の強打が待っていた。今度は右腕に。
チチは逃げようと必死になった。しかし、素早く動いているつもりが、実際は足がもつれ、よたよたしているだけだった。
敵は楽しむように、いたぶるように、手加減した弱い打撃を与えてくる。初めの一激とは明らかに違う。もしあの一激を身に受けていたら、死んでいただろう。敵はチチを殺すつもりではないらしい。
だがチチには考えている余裕はなかった。次の一激が頬を打ち、チチは再度その場に倒れた。
”もうダメだわ、私はここで死ぬのかしら……おばあちゃん……”
死を覚悟した途端、考える余裕が生まれた。
”そうよ、私は先読みの一族。防御の方法は知っているはずよ”
チチは立ち上がる前にすばやく身の回りに壁を張った。精霊力を隅々まで行き渡らせ、壁を強固なものにして行く。それからゆっくりと立ち上がった。
度重なる衝撃で、もう目がほとんど見えていないことに、その時はじめて気がついた。打ち身が右半身に集中している事も。咄嗟に左向きに身を庇うくせがあるらしい。
実体が見えない以上、精霊力か否かは別として、なんらかの魔法であるに違いない。悪しき力を利用した魔法かも知れない。魔法であれば、壁に跳ね返されて我が身に跳ね返るはずだ。
あと数秒でも、意識を保つ事が出来るかどうか自信はなかった。
次の攻撃がくり出されたのがわかった。
壁にぶつかる。
跳ね返れ!
しかし、チチは呆然とした。力は音もなく壁に吸収されてしまったのだ。
最後の望みを断たれたように、チチは愕然とした。
”そんな! ではあれは精霊力だというの!? あの攻撃が、あの惨たらしい力が、精霊様の力だというの!?”
吸収されるのは同じ資質の力だけだ。
気力が失われて行くのがわかった。
壁に望みを託してなんとか立っていた身体を支えていられず、チチはその場にばったりと倒れた。
意識が遠のく。
敵が暗闇から姿をあらわし、近付いてくる気配がわかる。だが身動き出来ない。ザクザクと大股で枯れ葉を踏み付けて、ためらいもなく近付いてくる。チチにとどめをさす為に。
大きな陰が倒れるチチにかぶさった。もう壁を張り続ける力は残っていない。
チチは完全に無防備だった。
”おばあちゃん……シュール……まだ死にたくない”
それきり、ぷっつりと意識は途切れた。
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