第7章~夜明け~
オンライン小説~銀の騎士~剣と魔法のファンタジー物語
(1)
「じゃあな。あとは頼んだぞ」 シュールがアビの肩を力強く掴んだ。
見ないようにしているが、意識のすべてがチチに傾いているのが、肩越しに伝わってくる。チチもまた、アルビンにだけ二言三言声をかけ、シュールの方を見ようとしなかった。静かに、遠くを見つめながら、「気をつけて」と呟いたのは、きっとシュールを心配しているんだろう。けれどその言葉は、アビにしか聴き取れなかったはずだ。
チチはやっと起きあがれるようになったばかりで、まだ毎日の包帯の取り替えや、薬の補充が必要だった。チチを置いていくしかないというのは、アビにもよく理解できる。
(だからって何で僕なんだよ)
アビは今日までに何度も不満を口にしたが、シュールは取り合わなかった。シュールの決心は堅く、誰がなんと言おうと自分がチチの敵を打たねば気が済まなかった。だからアビも渋々ながら、最後には留守番を承知したのだ。
アルビンも、何も言わなかった。今のシュールに、何を言っても無駄だろうと、誰もがすぐに察していた。チチまでがおとなしく、口をつぐんでいたのだから、表彰ものだ。
冴え渡るような清々しい空気が凛として漂っていた。葉をすっかり落とした広葉樹の木立も、深い緑をたたえた針葉樹の大木と全く同様に、威厳を持ってそこにある。うら寂しい様子は露ほども感じさせず、堂々と葉のない幹をうねらせていた。
旅の支度は、宿屋のふとっちょの女将さんがすっかり整えてくれた。
女将さんはアルビンをお気に入りなのだ。
何かと便宜をはかってくれるのは、アルビンが先読みの時期長候補と知ってのことではない。誰もそれを口にしなかったし、知られていない方が都合よかった。もちろん、シュールを銀の騎士かもしれないなどと訝しむ人間は、一人とていないから、殊更に隠す必要もなかったが、アルビンは別だった。その際だった容貌のために、どうしても人目を惹く。
盗賊の頭目であるゼヒアが、銀の騎士として民人に養護されている今、アルビンが先読みの時期長候補であることを公にするのは、危険だった。長の護りももはやない今となっては、先読みであることがいい方向に働くとは言い難い。それでも年輩の人々は、昔と変わらず、先読みの一族に尊敬と崇拝を惜しまなかった。
宿屋のふとっちょ女将も、先読みの一族を心より尊敬していた。ゼヒアが銀の騎士だなんて、誰が何と言おうが、これっぽっちも思わなかった。
こんな真冬に突然現れた、子供二人とみすぼらしい従者、そして気品溢れる一人の青年。この組み合わせは、誰が見ても異様だった。詮索好きの女将は、絶対に何かあると踏んで、四人の旅人をことあるごとに観察していた。そして、見抜いたのだ。
この青年こそが、本物の銀の騎士に違いないと。黒い髪は身分を隠すための装飾。そういうめくらましの魔法があることを、昔聞いたことがある。
「きっとお忍びで、偽銀の騎士を成敗しに来たに違いないよ」
四人が到着した晩、女将はそっと主人に耳打ちした。それからというもの、主人もすっかりその気になって、この重大な秘密を誰にも漏らすまいと、慎重に慎重に行動してきたのだ。
じきにわかったのは、子供だと思っていた女の子は、実は先読みの一族で、銀騎士様の侍女ではないか、ということだった。小さいながら、薬草を使う彼女は、絶対に何か特別の力を持っているはずだ。その女の子が大怪我をして戻ってきたとき、宿屋の夫婦は、一瞬でも銀騎士様の奇跡を垣間見ようと必死だったが、結局閉め出されてしまい、確認できなかった。だが、何か魔法めいた儀式が行われたのは、もはや疑いようがない。
二人は丁重に、お忍びの銀騎士様をもてなし、そして今、誇りを持って送り出そうとしていた。
宿屋の庭にしつらえられた特別な席に、これ以上ないという有りっ丈のごちそうが並べられ、旅立つ銀騎士とその従者に手向けられた。
その席で、チチはおとなしく座って、安全を祈り、そして、歌った。
まだ朝も早く、村人達は寝静まっていたが、チチは心に浮かぶままを静かに歌い上げた。
――生まれてきたのが最初の奇跡
――出会ったことが最後の奇跡
――少しでも力があるのなら
――どうか私に護らせて
――大切なひと、大切なもの
――本当の力を見せて
――もう奇跡はいらない
二人の姿がだんだん小さくなり、村の外へ出てからも、チチは歌っていた。
その姿には、決して遮る訳にはいかないといった感がある。断固とした意志が感じられた。
アビは黙ってチチの側に佇んでいた。
チチの心の中を少しだけ覗いた気になって、居心地悪かった。
チチは一緒に行きたいのだ。当たり前だ。アビだって一緒に行くことを疑ったことなどなかった。
こんなことになってしまったのは、元を正せばシュールが悪しき力と絆を持ってしまったせいだ。だが、それを口にすべきでないことは、アビにもチチにもわかっていた。
シュールが張り切れば張り切るほど、痛々しいほどの悲しみが伝わってくる。シュールの後悔が、シュールの自責が、シュールの怒りが。あの楽天的なシュールが、これほどまでに悔いているのは、チチを傷つけてしまったのが自分の浅はかさにあると思うからだ。そうではないと、誰が言ってやっても仕方のないことだった。シュールにはシュールの思うことがある。
それと同時にアビにはアビの思いがあった。
悪しき力を解き放ってしまった責任が自分にあるという、拭いきれない思い。アルビン様がどんなに慰めてくれようと、自分は悪しき力に踊らされ、運命の子だなどと祭り上げられ、いい気になっていたのだ。そんなつもりはなかったが、確かに、今まで子供扱いして相手にしてくれなかったププタン村の大人達を見返してやりたいという思い上がった考えがあったことを、今は、認めざるを得ない。
シュールが今自分の浅はかさを帳消しにしたいと考えているように、アビもまた償うことで過ちを忘れたかった。それなのに、またしても留守番だ。
チチだって、シェーラのこともあるし、杖をなくしてしまった不安もあるだろう。それに、シュールを一番心配しているのはチチだ。いくらアルビン様と一緒だと言っても、相手は荒くれの盗賊集団。たった二人で多勢を相手にするのは、アルビン様といえども辛いはずだ。そこを悪しき力に突かれたら、シュールはどうなるのだろう。
ふっと、チチの歌声が止んで、アビは我に返った。
「い、今のは魔法なのかい?」
ふとっちょ女将が身を乗り出した。アルビンが発ってしまったので、遠慮がなくなったようだ。
チチは威厳のある態度で、にっこりと笑った。こんな時、年下のチチが随分大人の女性に見える。
「護りの言葉です」
「ああ、やっぱり。あんた、先読みなんだろう? ほらお前さん、あたしの言ったとおりだろ。やっぱりね、そうだと思ったんだ。じゃああの方はやっぱり銀の……」
「おい」
すっかり口の軽くなった女将を、主人がたしなめた。
「今その言葉は出すんじゃない」
「おっと、そうだったね。まだ誰も起きちゃいないが、念には念を」
「さ、外はまだ寒い。怪我が悪くならないうちに、中へ入った方がいい」
主人はチチを、暖かくした宿屋の中へ促した。
「ありがとうございます。でももう少し、護りをこめたいので。集中しますので先に入っていてくださいますか?」
「あ、ああ。そういうことなら」
アビとチチを残して、宿屋の夫婦は屋内に消えた。
「さっきの歌、何て歌? 初めて聴いたよ」
アビはまだ包帯を巻いているチチの顔を見ないようにして訊いた。
「即興よ」
「は?」
「今、つくった、というか浮かんだのよ」
「吟遊詩人みたいに?」
「イヤね、馬鹿にしているでしょ。元々先読みの一族は、歌や舞に魔法の言葉を込めて発信していたのよ。昔はね。だって今ほど魔法言語がしっかりしていなかったから。漠然としていたのよ。大気中の制精霊力を集めて、歌に込めるの。歌は精霊力が編み上げたメロディで、耳に聴こえる言葉は飾りでしかないわ。本当は聴こえていない言葉が織り込まれているの。そうやって歌に乗せないと、力を使うことが出来なかったのよ。
だけどだんだん……ほら、アビも知っているでしょ。先読みの里ロールの魔法学校。あれが出来てからね。魔法言語が体系化して、歌や舞に込めなくても、力を使えるようになったのよ」
「なんだか、昔から生きているみたいな言い方だね」
「おばあちゃんの受け売りよ」
チチは寂しそうにほほえんだ。アビの胸がちくりと痛んだ。
チチは生意気だし大人びた口をきくけれど、本当はアビより一つ年下で、しかも女の子で、アビと同じで身寄りがないのだ。父親も母親も早くに亡くし、シェーラもあんな死に方をして、それでも涙もこぼさず気丈に立ち向かっている。自分のなすべき事をちゃんとやっている。本当はか弱く儚い女の子なんだということ、すぐに忘れてしまうけれど……。
チチの顔の傷は、本当に治るのだろうか。
アビは急に不安になった。
これ以上、チチの身の上によくないことが起こるなんて、シュールでなくたって耐えられない。
「それじゃそろそろ行くわよ」
思いに耽っていたアビに、チチが勢いよく声をかけた。
「は?」
今までの神妙な様子はすっかり消え失せ、瞳が悪戯っぽく輝いていた。
「ああ、中に入るんだね」
「違うわよ、何ボケかましてんのよ。出発するのよ。支度して来てちょうだい」
「はい?」
「んもう、相変わらずノロマね。宿屋の夫婦に見つからないように、剣とか持ってきなさいよ。私はもうこのままでいいんだから。すっかり用意は出来ているの」
ピラッと長いスカートをまくり上げる。そこにはすっかり荷造りされたチチの薬草ケースが隠されていた。
「こういうとき、女って便利よね」
「まさか……アルビン様とシュールの跡を追っていくって事?」
「当たり前でしょう? このまま黙っておとなしく待っているつもりだったの? そんな訳ないじゃないの」
「だって怪我が……」
「こーんなの、もう大丈夫」
チチは包帯をはぎ取るそぶりを見せて、一瞬、手を止めた。
「と、やりたいところだけど、見苦しい姿になってるみたいだから、隠しておくことにするわ」
「そんなこと……」
アビは何をどう応えていいのかわからず、口ごもった。
「いいのよ、妙な気は使わないで。いつか治るんだから。アルビン様がそう言ったわ。今は、見ない方がいいって」
「痛みはないの?」
「もうすっかり。だって十日以上寝ていたんだから。これ以上じっとしてなんか、いられないわ」
「だって、さっき護りの歌……」
「ああ、あれ? なんだか知らないけど、急に出てきたから歌っただけ。待っているつもりで護りを込めたんじゃないわ。それくらい気づいてよね。
第一、私がいなかったらシュールがアルビン様の足を引っ張って、足手まといになるに決まっているじゃない。放っておけないわ。シュールの馬鹿のせいでアルビン様が傷つけられでもしてご覧なさい。大変な事よ。私がよく見張っておかなくちゃ。そうでしょ。だけどあの場で一緒に行くと言っても、ダメだって言うに決まってるから、さっきはおとなしく待ってるふりをしていたのよ。待ってるわけないじゃないの、この私が」
「あう……」
アビはさっき思ったことを、すっかり取り消した。
チチはやっぱり強い。全然か弱くも儚くもないや。
「ほら、ぐずぐずしていると、置いていくわよ。あ、私の荷物、持ってね」
「ええ?」
「当たり前でしょ、私は怪我人で、しかもか弱い女の子なんだから」
アビは言い返さなかった。自分の部屋へ急いで剣と乾燥肉の袋を持ち、急いで戻ってくると、もうチチはいなかった。そこには薬草ケースだけが残されている。
「はいはい、これね」
薬草ケースを肩にかけ、アビは走り出した。
早いところ追いつかないと、また何を言われるかわかったものじゃない。
でも、追いついたら追いついたで、シュールに何と言われるか。
(何で僕ばっかりいつもこんな役なんだよ)
ぶつくさ言っても始まらない。
でも、一言くらい文句を言っても罰は当たらない気がした。
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