第3章~危機~
オンライン小説~銀の騎士~剣と魔法のファンタジー物語
再びコーリット城(4)
「この子の事をなるべく詳しく教えて。」
一階居間の暖炉前に腰を下ろして、アビが聞く。
「名前はファーガ。8歳の小型の犬で私のたった一人の家族。ああ、私の名前はリーネよ。息子夫婦が魔物に殺されてからは、ずっとこの子と二人きりで暮らしてきたの。一人で残されるくらいなら、この子に殺された方がましというものだわ。」
リーネはそう言ってファーガの毛並みを撫でつける。ファーガは、魔物特有の紅い目でこちらを牽制しながらも、気持ちよさそうに主人に甘えているようだった。
魔物化すると過去の記憶はなくなると聞いていたが、ファーガは主人を覚えているように見える。
「どうして魔物化したんだろう?」
「ハァー。」
リーネは深いため息をついた。
「わからないわ。いつものように街の中を散歩していたら急に苦しがって、見る見るうちに大きさが変わって来て、こんな姿に。かわいそうに、ファーガ。」
目にはもう涙が浮かんで来ている。余程ファーガを愛しているのだろう。ププタンでは動物を飼っている家はなかった。そんな余裕のない小さな貧しい村だった。
「食べ物は何を?」
「この子はとり肉が好きだったわ。滅多にあげられなかったけれど。」
女性の目には明らかに後悔の色が見える。とり肉をもっと食べさせてやれば良かった、とその目は語っている。
「じゃあ普段は何を?」
「私と同じもの、茹でた野菜とか、豆とか。」
ファーガは完全に魔物化しているように見える。だとすれば味覚は変わっている筈だ。何も食べ物がなければ、魔物でも野菜や豆を食べるのだろうか。当たり前だが誰も魔物を飼った事はない。何でも試してみるしかなかった。
「魔物は生肉を好むけど、今日はいつもの野菜をあげてみて。」
「わかったわ。」
リーネがファーガの食事を作っている間、アビはファーがを手名付けようとあの手この手と試したが、ファーガは牙を剥くばかりだ。
「なあアビ。無駄じゃねえか?ンな事したって。」
「そうかなあ。」
リーネから聞いた事を思い起こしてみても、魔物化の原因は全く分からない。
「精霊は魔物化の原因教えてくれるって言ったのに、何にも教えてくれないし。」
アビは前から心に引っ掛かっていたほんの少しの不満を漏らす。精霊の存在は絶対的なものだとシェーラは言っていた。その精霊に不満を漏らすなど、本当は許される事ではないのだろう。しかし・・・。
「あ?何か言ったか?」
「ううん。なんでもないよ。」
アビは先程の考えを無理矢理打ち消した。あんなに美しい存在なのだから何もかも正しい筈だ、不満を持つなんていけない事だ、と。
「でもよアビ。さっきかっこよかったぜ。シュールがいないと何にも出来ないのかと思ってたが、キレルと大胆になるのな、お前。」
「え?そう?」
大胆になったつもりはあまりなかったので、アビにはどんな返事を返せばいいのかわからない。
「シュールが帰って来たらどうするんだ?」
アビの決心を確認するかの様にアミューは突然真顔になる。アビが必死で訓練している事は前々から気になっていたし、出来れば協力してやりたかった。
「氷の洞くつに行くよ。シェーラの仇を討つ。絶対。」
「そうか、そう言うと思ってたがやっぱりな。でもよ。無茶じゃねえか?シェーラがいてすらダメだったってのに。」
「うん、わかってる。だけどこのままじゃ。僕のせいなのに。シェーラが僕を助けてくれたんだ。僕がもっと強かったら、シェーラは絶対死ななかった。」
「お前のせいじゃねえよ。」
アビが黙ってアミューに微笑みを返した。その顔は決心した者のそれだ。アミューはもう自分が何を言っても、アビの決心は揺るがない事を知って、口を噤む。たった一人ででも行くつもりなのだ。
心が揺れる。一緒に行くと言ってやりたい。だが、みんなは何と言うだろう。ボスはザトーだ。ザトーの意見を聞かない内に一人で勝手な行動は許されない。
アミューは言いかけた言葉を呑み込んで、視線を逸らした。
アビはファーガをじっと見つめている。いつの間にか唸るのをやめて、ただ鋭い視線をこちらに向けるファーガは、どこか物悲しく見える。
「さあ、ファーガ。ごはんよ。」
リーネがファーガ専用の皿に彼の食事を山盛り入れて持ってきた。
目の前に置かれた皿の臭いを嗅ぎながらも、ファーガは視線をこちらに向けたまま警戒をゆるめなかった。この食事は気に入らないらしい。
「ダメみたい。リーネさん、とり肉を持って来てもらえますか。お腹をすかせると、人を襲うかも知れないから、いつもお腹一杯にさせておいた方がいいと思うんだ。」
リーネはうなずくと、ファーガの皿はそのままにして奥へ戻った。
ファーガは食べ物の臭いに刺激されたのか、再びグルル・・・と唸り出す。裂けた口からは、ポタポタとよだれが垂れていた。
「きったねえな、こいつ。」
アミューが面白そうにアビの方を向くと、アビは真剣にファーガを睨んでいる。
「アミュー、お腹をすかせていつ襲い掛かって来るか分からない。気を抜かない方がいいよ。」
「わ、わかった。」
「もし、襲い掛かって来ても、殺さないように防いでね。」
「まじか?」
「だってリーネさんと契約したのはアミューだよ。」
二人は静かにファーガの様子を伺っていた。今にも襲ってきそうな形相だが、ファーガは堪えているようだ。
リーネが戻って来るのが意外に早かったので、その場はなんとか持ちこたえる事が出来た。リーネが別の皿に持って来た焼いたとり肉の美味しそうな臭いにたまらなくなって、ファーガは彼女が皿を置く前に飛びかかっていた。びっくりして皿を落とした一瞬、全員に緊張が走ったが、ファーガはガツガツととり肉を食べているだけで、誰にも危害を加えはしなかった。
とり肉を器用に拾いあっという間に食べ終わると、まだ足りないといった顔でリーネを見上げる。
「もっと食べたいのね。」
リーネは優しい表情を浮かべながら、落ちた皿を拾った。
「今度は、少し野菜を混ぜてみて。」
毎日大量のとり肉を与えるのは金銭的に無理だろうと思ったので、アビは野菜を混ぜる作戦を思い付いた。リーネもいい考えだと思った様だ。なるほどとうなずいて、先ほどファーガが食べなかった野菜の皿を取って奥に入っていった。ファーガはそれを目で追っている。
次に出て来たのは、先ほどの三倍はあろうかという大皿に、細かくした野菜と肉を混ぜた物だった。飛びかかろうとするファーガを馴れた様子で、「まて。」と制して、リーネは皿をファーガの前に置く。ファーガはリーネの顔をじっと見ながらおとなしく座っている。と、「よし。」の合図が出ると同時に大皿をあっという間に平らげた。
「すげえ。魔物を手なずけるなんて。」
「姿が変わっただけですもの。」
リーネは満足そうにファーガの頭を撫でる。ファーガも甘えて鼻をこすりつけた。
食べ物も徐々に野菜を多くしていけばなんとかなるだろう。
・・・魔物って一体何なんだろう。・・・
リーネとファーガを見ていると分からなくなる。
・・・姿が醜くなって、大きさが大きくなって、味覚が変わって、大食いになって、それだけだ。後は何も変わらない。・・・
アビは複雑な気持ちで、その夜はずっと起きていた。ファーガは食べ物さえきちんと与えれば人を襲う事はないだろう。それはもともと人間に飼われていたからなんだろうか。
まよいの森で見かけた魔物も犬のような姿だった。あれもきっともとは人に飼われていたに違いない。だから襲って来なかったのだろうか。
・・・最初に魔物って名前をつけたのは誰だろう?・・・
夜がふけても、考える事は尽きなかった。
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