第6章~決戦~
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精霊(6)
昨夜見た不吉な夢が、頭にこびり着いて離れない。あれは予言だったのだろうか。
それとも弱き心が見せた幻影だったのか。
アルビンの漆黒の瞳は、黒水晶の様に、変わりゆく景色を映し出している。だが、馬を駆りながら考えるのは昨日の夢の事ばかりだ。瞳に映し出された物のほんのひとかけらも、アルビンの思考に入っては来ない。
自分自身の事を予言出来るのは極めて強い力を持つ者に限られている。自分の力はそれほどのモノだろうか。ラステカ以外の者の魔法を見た事がないアルビンには、自分の力をはかる物差がなかった。
力の強い者が次期長として、長~ラステカ~の家で修行を受ける事になっているのは知っていた。だとすれば自分は力の強い者という事になる。しかし、一族の他の者はどれ位の力を持っているのだろうか。
今まで考えた事もなかった。
一緒に暮らしているとはいえ、ファージやクリストとも、殆ど交流はなかった。他者との交流は魔力を弱める事につながるからだ。そうとわかっていながら、長は自分に、運命の子供の力になれと言ったのだ。それが何を意味するか分からないアルビンではなかった。
つまり、これ以上、強い魔力を保つ必要がないという事なのだ。
・・・次期長にはファージがなる。・・・
アルビンは、あまり口を聞いた事のないファージの姿を思い出そうとした。しかし、考えれば考えるほど、ファージがどんな容姿だったかさえ思い出せない事に気づいた。来客があってもファージは決して表に出ない。三人の中で一番魔力が強く、次期長に近い存在だからだ。
・・・私はもう長にはならない。・・・
始めに運命の子に付き従うよう命を受けた時、アルビンはそう確信していた。
・・・つまり三人の中で私の魔力が一番弱かったという事だ。・・・
冷静にそう判断したつもりだった。長になりたかった訳ではない。むしろなりたくなかったと言ってもいい。だから、長にならないとわかっても、影響はない筈だった。それなのに・・・。
アルビンは自分の心の奥深く渦巻くどろどろとした感情を、自分でないモノの様に感じながら、昨夜の夢の出所を探った。
・・・三人の中で一番力の弱い私が、自分を予言する事などできる筈はないではないか。それではあの夢は何なのだ。・・・
肉体が消失し、未来永劫精神体として生き続ける自分、しかも何者かの虜になって、苦痛を与え続けられている。肉体がないにも関わらず、苦痛は肉体が存在した時と同じように、いや、それ以上にアルビンを苛んだ。
あの夢は自分の潜在意識のどこから生まれたというのだろう。
今、胸にわだかまるこの突き上げるような感情のせいなのか。これはなんなのだ。長になれない事が悔しいのか、哀しいのか、長になるファージが憎いのか、感情をあらわに出来るクリストが憎いのか、それとも・・・。
自分にこんな運命しか与えなかった神が憎いのか。
そんな筈はない。
そんな事は今まで一度だって考えた事はない。
与えられた運命をあるがままに受け入れて来た。不満に思った事など一度だってない筈だ。
・・・本当にそうだったろうか?・・・
考えなかったのではない。考えた事を押し殺して生きて来たのだ。
すべての感情を押し殺して。運命に従うにはそうするしかなかった。
・・・そうだったのか?・・・
アルビンは自分の頭に浮かんだ思いを、まるで他人事のように受け止めた。完全には信じられない。今まですべてを納得して受け入れてきたつもりだったのに、醜い感情が本当は存在していたなんて。自分の事ではないようにも思える。
アルビンは一瞬、胸の奥のどす黒い固まりを全て吐き出してしまいそうになったが、すぐにまたいつもの冷静さを取り戻していた。
馬の歩みが遅くなった事で、思考が現実に引き戻されたのが原因だった。
気づくと馬を休憩させる為、小川のほとりで皆馬を降りていた。
アルビンも馬を降り小川に近付いていくと、セラムがその一挙一足をじっと見つめている事に気が付いた。
先程から時折、思考を邪魔するモノが感じられたのは、この視線だったのかと、アルビンは納得した。嫌な感じだが、このおかげで自分の感情に飲み込まれるのを防げたのだ。感謝せねばなるまい。アルビンはそう思い見過ごす事にした。が、次の瞬間。
「!!!」
声にならない叫びをあげて振り返ると、セラムが珍しそうにアルビンの髪に触れている。
「何を!?」
ようやくそれだけ声を出す事が出来た。一人で生きて来たアルビンが、誰かに触れられた経験などあろう筈がなかった。
「美しい。こんなに艶やかな黒髪を初めて見た。」
髪だけに飽き足らず、セラムはアルビンの頬に手をのばした。
「!!!」
アルビンの身体がビクッと硬直する。
「そんなに怖がらなくても、ちょっと触るだけだよ。なんて滑らかな美しい肌なんだ。」
感嘆の声をあげるセラムに、アルビンはなす術がない。
・・・美しい?何を言っているんだ。・・・
アルビンは人間の容姿というものに全く関心を持っていなかった。もちろん自分の容姿に付いてもである。数えるほどの人間にしか接した事がないのだから、何をもって美しいとするか比較のしようもない。しかし、言われてみれば自分に不躾に手を触れているこの金髪の青年は、とても美しいように思えた。
「おやめなさい。はしたない。」
サンバールが呆れ顔でセラムの手を引かせる。
「だって、サンバール。私は今までこんなに美しい人間を見た事がないよ。」
セラムは新しいおもちゃでも見つけた様に嬉しそうだ。
「悪かったですね。美しくない黒髪で。」
「そう言われてみれば君も黒髪だったね。」
セラムは悪びれずに言った。サンバールは大きな溜め息を付く。
「思い出して御覧なさい。あなたの美貌に群がって来た女性達を。皆あなたを撫で回して喜んでいた。あなたはそれを厭がっていませんでしたか?それなのに、それと同じ事をするのですか?」
「!」
セラムはやっと気が付いた。人間は美しいモノを目にすると、どうしても触れたくなるものなのだ。なるほど、そう考えれば、自分にまとわり付いて来た鬱陶しい貴族女性達も許す事が出来る。
「すみませんね、悪気はないのでどうか許してやってください。誰にでも触るくせがあるのですよ、この人は。」
サンバールが苦笑いをする。
馴れない事に困惑していたアルビンも、もういつもの仮面を取り戻していた。
「お気になさらず。おもりも大変ですね。」
と、小さな声で言った。
「おもりだって!?」
どうやら、セラムに聞こえてしまったらしいが、アルビンは知らんぷりをした。
それよりも、これから向かう得体の知れない力の事を考えなければならない。
「まあまあ、本当の事なんですから。」
サンバールがなだめている。
・・・この二人は完全に部外者だ。呑気なものだな。・・・
そう思いながらアルビンは一人押し黙るチチに視線を移した。
・・・運命の子の一人、しかし、精霊が偽物だったとすればそれも怪しい。この少女も、巻き込まれただけなのかも知れない。・・・
この少女も・・・。そう、自分も巻き込まれた一人だ。アルビンは冷たい陶器のような頬を自分の手でそっと触れてみた。
・・・私は他者から見たら美しいのだろうか。それゆえ、生け贄に選ばれたのか。・・・
精霊の皮をかぶった得体の知れない力は、先読みの力を持つ男を連れて来いと言ったという。それが何故自分でなければならなかったのか。長は何故アルビンを選んだのか。先読みの力を持つ男など山ほどいるというのに。
・・・いや、長が選んだのではない。長は予言しただけだ。・・・
運命がアルビンを生け贄に選んだのだ。力が強いからではない。
三人の中で一番力が弱く、次期長として不必要だからだ。
「私は必要のない人間だから生け贄に選ばれた。」
アルビンは口の中で呟いた。
口に出してしまうと、何とみじめな存在だろう。
「アルビン様!どうしたのですか?」
運命の少女が心配そうに自分を見上げている。
その声にセラムとサンバールも気づき、驚いた様子でアルビンの方へ駆け寄って来る。
「あなたのせいですよ。セラム。」
サンバールがセラムの頭を軽くコツンとたたいた。
「あ、ごめん。そんなに触られるの嫌だったとは、分からなかったよ。」
セラムはバツが悪そうに謝った。
・・・よく見ると本当に美しいな。しかし、何を謝っているのだろう。・・・
アルビンは、不思議に思ってセラムをじっと見つめた。
「泣くほど嫌だったとは、私も少し傷付いたが。」
「あなたの事なんか誰も聞いてませんよ。」
「サンバール、ひどい事言うね。」
サンバールはセラムを無視して、アルビンに洗練された絹のハンカチを手渡した。
「本当に大丈夫ですか?」
無意識に刺繍入りの白いハンカチを受け取って、アルビンは眉をしかめた。
・・・泣いている?私が?・・・
ハンカチを持った手でゆっくりと頬を押さえると、指に暖かい湿り気を感じた。
そして、自分の手が震えている事に気が付いた。
・・・これが、涙というものか。・・・
アルビンは心の奥深くに膨れ上がっていた感情の固まりが、涙と共に体外に放出されるのを心地よい気分で感じていた。
・・・私は泣きたかったのか。長に必要とされなくなった事が、そんなに哀しかったのか。・・・
一通り涙が出てしまうと、アルビンは今まで視界に入って来なかった他者の目を感じ始めた。
三人は無表情の瞳から涙を流しているアルビンを黙って見守っている。
アルビンはサンバールのハンカチで涙を拭くと、
「すみません。人に不躾に触れられたのは生まれて初めてで、気づかぬ内にショックだった様です。」
と言った。
もちろんそんな事が理由でないのは誰の目にも明らかだった。
不躾といわれてセラムは多少不機嫌になった。
「もう大丈夫です。先を急ぎましょう。」
アルビンは作り物の笑顔で皆を促した。
チチにはいつも無表情のアルビンが、無理な笑顔を創らねばならない事が哀しかった。
シュールを助ける為に、得体の知れない力にアルビンを引き渡そうとしている自分が恐ろしかった。不安な面持ちのチチに、アルビンは優しく微笑みかけた。今度は作り物の笑顔ではない、以前封印の洞くつで一瞬だけ見せてくれたあの優しい笑みだ。
「大丈夫、私は勝ちますから。」
そう言い終わるとアルビンは、すぐにいつもの無表情に戻っていた。
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