第3章~杞憂
オンライン小説~銀の騎士~剣と魔法のファンタジー物語
(7)
神殿の中は冷たい空気に包まれていた。
あの日、銀の小箱を並べた祭壇は、埃にまみれている。神殿の中には、森に入った瞬間に感じた精霊力を、はるかに凌駕した強い力の磁場が渦巻いていた。
この場所なら、どんなに力の弱い一族でも、上級の魔法を唱える事が出来そうだった。
精霊が大気中に消えたのならば、こんなに大きな力の渦は見られないはずだ。
”精霊は消滅してはいない”
アルビンはそう確信したのだった。が、逆を言えば悪しき力も消滅していないという事だ。
ならばなぜ、魔物は減っているのか。
魔物が確実に減っている事は確かだった。魔物化の原因となったある種の力は消滅したが、力の源となった悪しき精霊力は残っているのかも知れない。それを誰かが悪用すれば、魔物化は再び起こるのだろうか。
「アルビン様、何かわかりましたか?」
力を持たないアビとシュールは、神殿の重苦しい空気を感じる事はなかったが、チチだけは、自然界の物とは思えぬねじ曲げられた磁場を、かすかに感じ取っていた。
「ここには力が集中しています。わかりますね? チチ」
「はい。でもこれは、精霊力なのですか? それにしては嫌な感じがするんです」
チチは不安を口にした。今にもあの祭壇の後ろから、悪しき力を纏った不気味な姿が現われそうで、それがシュールを連れていきそうで……怖かった。ふと、不安にかられて振り返ると、シュールは虚ろな瞳でぼんやりと虚空を見つめていた。
「ア、アルビン様!」
チチは思わず側にいたアルビンの袖をつかんだ。
その手が震えているのが、アルビンにも伝わり、チチの視線の先にあるものを見た。
「シュール!!」
アルビンはシュールに駆け寄り、その両腕をつかんで思いきり揺さぶった。何が起こっているのかはわからなかった。だが、シュールの意識がこの場所から遠のこうとしているのだけは、はっきりとわかった。
「シュール! どうしたのです!」
「シュール……。どうしたの」
「シュール!! シュールったら!!」
アビもアルビンの尋常ならぬ様子に驚き、三人は懸命にシュールを呼んだ。すると、ふっと張り詰めていた力が緩やかな動きを見せ、シュールの瞳の焦点がアルビンにきっちりと合った。
「……なんだ?」
シュールは、訳がわからないという風に頭をふった。
その瞬間、チチはその場にへたり込み、アビはシュールの背中に抱きついた。
「心配させないでよ、シュール」
情けない声を出す背中のアビをちょっとだけ振り返り、シュールは再びアルビンに視線を移す。助けを求めるような顔をしていたかもしれない。
「急に誰かに呼ばれたような感じがして、どこか別の場所に一気に跳んで……今までの事を全部忘れかけた。戻った一瞬、あんたが誰だかわからなかった」
シュールは拳を握りしめ、悔しそうに唇を噛んだ。
「もっとくわしく話して下さい」
アルビンは真剣だった。
「俺を呼ぶ声は、知らない女の声だった。誰だろうと思った瞬間に、真っ白い空間に放り投げられたような感じだ。全身があったかくなって、何もかも考えなくていいような気がして、身をまかせた。そうしたら急に、髪の毛を後ろから引っ張られたみたいな衝撃があって……戻ったら目の前にあんたがいた」
シュールはその時の心地よさを思い出して、ゾッとした。
あのまま引き込まれていたら、どうなったかわからない。
「あいつは何なんだよ。悪しき力はあんたが倒したんじゃなかったのか!?」
シュールは声を荒げた。
「どうやら、新たな悪しき力が生まれようとしているようです。通常の浄化の呪文は効かなかったらしい。新しい魔法を編み出す必要があるのかも知れません」
そうは言ったものの、新しい魔法など簡単に編み出せるものではない事も、アルビンにはよくわかっている。仕方なく、ありったけの力を込めて、精神を統一し、知りうる限りの浄化の呪文を唱えた。
長が編み出した魔物化を戻す呪文も、神殿中に粉を巻いて余すところなく、かけておいた。それが何の効果もないと知りながら、そうするより他に打つ手のない自分が、もどかしかった。
シュールは一度悪しき力の虜になっている。
その時に出来た絆のようなものが、シュールを呼んだに違いない。
”精霊力の磁場が強い時には、シュールに気をつけていなければ……”
ここでアルビンは悪しき力が、先読みの男を連れて来いと言った事を思い出した。チチもその場にいたのにである。先読みの力だけが目的であれば、チチを虜にしてもよかったのだ。それをわざわざなぜ……。
もしかすると悪しき力は女性に弱いのではないか。それとも、力を吸い取るのに、男の方が都合がいい理由でもあるのか。シュールに先読みの力はない。あのまま呼び戻さなければ、シュールはどうなっていたのだろう。
フェンの村では男だけが魔物化した。男の方が操り易いという事なのか。
「アルビン様……」
ようやく立ち上がったチチが、難しい顔のアルビンを仰ぎ見た。
どうしたらいいのかわからないといった顔つきだ。
「とにかくこの場所は危険です。誰も入らないよう封鎖しておきましょう」
そう言って神殿の外に出て、手早く扉に封印の魔法をかけた。先程から次から次に魔法を使っているのに、疲れは全くと言っていい程、感じなかった。ここの磁場のせいなのだろう。もしこの事が広まれば、力弱い為に劣等感を持ち続けて来た薬師達は、この場所を争って戦を起こすかも知れない。
「この場所のことは、内密にしましょう」
アルビンはチチにだけそっと囁いた。チチは小さく頷き、一刻も早く神殿から離れようと、足早に森の中に入っていく。三人はその後を追うようにして、森の中に姿を隠した。
「悪かったな、心配させて」
シュールは誰とも視線を合わせず、ぶっきらぼうに言ったが、その声は、ガサガサとうるさい落ち葉の音にかき消さた。
誰も答えなかった。
答えなかったが、ちゃんと訊こえていたのだった。
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