オンライン小説~銀の騎士~剣と魔法のファンタジー物語

銀の騎士続編

第4章~混沌~

オンライン小説~銀の騎士~剣と魔法のファンタジー物語

(8)

「う、うぬは……」
「ぐはっ!」

バリバリバリ……

異様とも思える音が、ギルの大森林の奥深くに建てられた小屋に響き渡る。盗賊達が生活するテント村から少し離れた所に、老婆の実験小屋が建っている。どんな音が訊こえようとも、たとえそれが人間の最期の叫びであったとしても、のぞきに行ったり騒ぎ立てる者はない。ゼヒアが立ち入る事を固く禁止していたからだ。

そこには、ゼヒアさえも足を踏み入れる事はなかった。また見たいとも思わなかった。
老婆が行うおぞましき実験は、止まってしまった魔物化を再び促進する為の実験だった。その為に何体もの実験体が必要だったのだ。
それらを調達するのは、ゼヒアの領分だ。そういう契約であった。

今回の犠牲者は、先読みの力を持った老人が二人。どんな反撃があるともわからず、油断は出来ない。そう思って実験小屋に一番近いテントに待機していたゼヒアだったが、心配は無用のようだった。

すぐに何の音も訊こえなくなり、ギルの大森林は静寂に包まれたのだった。
老婆がまだそこにいるのかどうかもわからない。
老婆は黙って現われ黙って消える。
いつもなら気にも留めないところだが、今日は実験の成果が無性に気になった。

今回の実験はいつもとは違う。なにしろ実験体は先読みの一族なのだ。今まで失敗に終わっていたのは、素材が悪かったからに違いない。今度こそ、魔物が誕生しているのではないか。そんな期待がかすかにあった。

ゼヒアはふらふらと立ち上がって、まるで誘われるように実験小屋に近付いた。いつもなら絶対に近寄ろうと思わないはずの小屋を、今日はどうしても覗きたい衝動にかられた。

「お頭、どこへ」
「着いて来るな」

ステファンを振り返りもせずに、ゼヒアは低くきつい口調で言い放った。
一瞬ビクっと身体をこわばらせ、ステファンはゼヒアを見送った。
一歩一歩ゆっくりと近付いてゆき、はじめて、実験小屋の真直まで来たゼヒアの胸は、子供のように期待に膨らんでいた。

この先にあるものが自分を幸福に導くかもしれない。そう思うと扉にかける手が震えた。

ギギーッ。

軋むような音をたてて、扉は内側に開かれた。
そこでゼヒアが目にしたのは、現実とは思えない異様な空間だった。

小屋の中は外からは考えられない程広く、奥行きがあった。しかも建物の中だというのに、赤い雲のかかった空が広がっている。床は柔らかく、生き物のような感触を与えた。

突然扉が大きな音をたててバタンと閉まる。

二、三歩足を踏み入れて、まんじりともせずに立ち尽くしていたゼヒアはハッとして振り返った。
汗が否応なく滲み出す。

辺り一面、赤い空気に包まれている。
貝のような臭いが立ちこめる。
壁も床もまるで生き物のように呼吸をしている。いや、しているように見える。ドクン、ドクンと脈打つようにうごめく壁を見つめながら、ゼヒアは左手で額の汗を拭った。
赤い霧のようなもので、奥になにがあるのか見えない。
ゼヒアは奥を凝視しながら少しずつ近付いた。
時々、空気が水を揺らすようなポコンという音が訊こえる。

ゼヒアは目で老婆を探した。こんな異様な空間に一人きりだと思うと、たとえどんなに無気味な存在であろうと、老婆にいて欲しかった。
長い時間をかけて一番奥まで進んだゼヒアの目に、信じられないような光景が突然映った。

「げほっ」

一瞬吐き気を催して咳き込み目を逸らしたが、諦めてもう一度視線を移す。
人間の成れの果てだろうか。

かつて胴体だったと思しき赤い肉の固まりには、はっきりと一本、腕がはえている。足と思える部分は癒着し胴体の続きのようだが、下を見ると爪のようなものがはえている。手はへその部分にめり込み、腕が輪を作っている。首から上はなくなっていた。
それは”腕の取っ手”をつけた扉だったのだ。

さすがに肉のむき出した人間の腕に手をかける気にならず、戸惑っていると、腹の底に響くような笑い声とともに、扉は音もなく開いた。

「何だ、情けない顔をして。怖じ気付いたか」

黒いマントを深くかぶり、老婆は身体を揺らして笑った。
扉の先には、中央に大きな釜があり、その側に老婆が立ってるだけだ。
期待した魔物の姿は見えなかった。

「いたのか」
わざと素っ気無く言って目を逸らす。監視されていたかもしれないと思うと、気に入らなかった。

「ここは立ち入り禁止だと言わなんだか」
急に老婆が厳しい顔を見せる。だが、怒っている訳ではなさそうだった。

ゼヒアは老婆に視線を戻し、ただ黙って次の言葉――実験の成果――を待った。しかし老婆は何も言わないままゼヒアに背を向け、グツグツ煮えたぎる大釜にむかって何やら呟き始めた。
魔法を唱えているのだという事は、すぐにわかった。ゼヒアの位置からは釜の中は見えなかったが、煙りが立ち上っている様はよくわかった。

もっと近くから見ようと足を踏み出す。途端に忘れていた嫌な感覚が戻って来た。床は歩く度、ぐにゃりぐにゃりと形を変えた。まるで肉の悲鳴のようだった。
老婆は大釜を覗き込めるよう、一段高い所にいた。が、背の高いゼヒアにはそのまま釜の中が覗けた。
覗かなければよかったと、後悔したがすでに遅い。大釜の中の湯にプカリプカリと浮かんでは沈む人間のふやけた頭。頭髪はわずかに残るのみであったが、顔の造形はそうくずれていない。いっそ崩れていてくれた方がまだホッとするというものだ。くるりとまわって見開かれた目がこちらを睨み付けているのを目の当たりにするのは、さすがにゾッとした。

「こやつは先読みか」
呪文が途切れた事を確認してから、苦々しい表情で訊いてみる。

「先読みはもっと効果的に使うわ」

顔の位置が同じ高さにあって、振り返った老婆のニーッと笑った口元が、目前に迫った。
ひび割れた大きな赤い口。

”やはり人間ではなかったか……”
ゼヒアはもうこれ以上、何も見たいと思わなかった。
これは自分の理解を超えるものだ。

”二度と、老婆の領分を侵すまい。”

そう、心に誓ったのだった。

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